暗黒の世界(9) 最終回


「あと3分で館内の電気はすべてストップします。すみやかに脱出してください」

近づいてくる終わりのときをアナウンスが告げていた。
揺れが激しさを増し、建物は音を立てながら崩壊を始めている。

「もう時間がない。レバーを引くんだよ。憂」
「オバさんはどうなるの?電気が止まってしまったら脱出できないじゃん」
「あたしは行かない」
「電気が切れたらここ真っ暗になるよ。エアコンも止まって・・・」

基地は本当に暗黒の世界になってしまうだろう。
暗闇の中でこの轟音を聞くのか。
大きな音に驚いても、その正体を見て確かめることはもう出来ない。
完全に光を失った世界で最後の時を待ち続けるしかないのだ。

やがて寒さが襲ってくるだろう。
逃げ場所もなく、凍えながら震えることしかできないだろう。
暗闇と極寒と轟音の中、基地と共に無の世界に飲み込まれていく。

私はドアを開けようとした。
すぐにオバさんが外からそれを押しとどめる。
ちょっとだけ開いた隙間はすぐに閉じられた。
オバさんの力は強くて、私が全力を振り絞ってもドアは
開けられない。

「行くんだ、憂。レバーを引け」
「嫌だ」
「行けって。もう時間がない」

どうしてもドアは開かない。
外でオバさんが必死に押さえている。

「行け。ふたりは乗れないんだ」
「じゃあ私も行かない。私もここに残る」

一瞬オバさんの力が弱くなった。
その隙をついて私はドアを一気に開けた。

外に出ようとする私を、オバさんは両手で思い切り突いて押し戻した。
後方に飛ばされて反対側の壁に頭を叩きつけられた。
オバさんはすかさずドアを閉める。

「レバーを引け。憂」
私は首を振る。「戻ってもう一度鍵を探そう」
「電気はもう止まる」
「真っ暗でもふたりで探せば見つかるよ」
「鍵はないんだよ」
「一緒に探そうよ。向こうの脱出艇ならふたりで乗れるじゃん。電気がなくても向こうなら動くかもしれないじゃん。まだ基地が崩壊するまで時間もきっと残って」
「憂!」

オバさんが大声を出した。
声に驚いて言葉が続かなくなった。

「聞くんだ、憂。鍵は見つからない。鍵はないんだよ」

諭すようなやさしい声だった。
本当のことを話しているのだとわかった。

「鍵はないんだよ、憂。あたしは一生懸命探した。でもどうしても見つからないんだ。どんなに探しても鍵は見つからなかった」

「1分後に館内の電気をストップします。カウントダウン・スタート」

数字が60から順にカウントダウンされていく。
死の宣告が行われているかのように。

私はゆっくりと手を伸ばした。
透明なカプセルに遮られてオバさんに触れることは出来なかった。
ドアを開けてもう一度触れてみたかったが、
時間は残されていないようだった。

アナウンスの読み上げる数字は、どんどん小さくなっていく。
それに合わせるように揺れと轟音は激しさを増していく。

私は両手でレバーを握った。
手が震えていて金具がカチャカチャ鳴った。
音を止めようとレバーを握る手に力を込める。

顔を上げるとオバさんの顔はすぐそこにあった。
透明な壁一枚隔てたすぐそこに。
一緒に眠った記憶が頭ををよぎる。

私はおもわずレバーから手を離してしまった。

「憂!」

オバさんは怒鳴り、卵を叩いた。
割れるほどの大きな音が車内に響いた。

「電気ストップ10秒前。10、9、8、7」

「レバーを握れ。時間がない」
「嫌だ」
「レバーを引け!」
「嫌だ!」
「行け!」叫びながらこちらに背を向けた。
「お母さん!」
「行きなさい、憂!」

私はレバーを握り、力いっぱい引いた。

卵が破裂するような勢いで走り出した。
シートベルトをしてないせいで、私の体は宙に浮いた。
強烈な加速が全身に伝わってくる。
両足が天井に届きそうなほど浮き上がり、体がくの字に折れ曲がる。
卵は発射通路を駆け登り、そのまま外へと飛び出していく。

透明な壁越しに海底基地が見えた。
光を失った暗黒の世界が一瞬のうちに遠ざかっていく。

体が丸まって気道がふさがり、息がしづらかった。
本当に海底を進んでいる気分だった。

どんどん海面に向かっているのが音でわかった。
発射直後は重い低音が車内を満たしていたけど、
だんだんと海水を切る音が甲高くなっていっている。
このまま宇宙まで飛んでいってしまいそうな勢いが感じられた。

気づくと広い海に出ていた。
水面に浮かんだ卵はゆらゆらと海を漂っていた。
波で卵が緩やかに上下に揺れている。

ドアを開けると波の音が聞こえた。
どこかで泣いている海鳥の声も聞こえた。

太陽の光が注いで外は暖かかった。
初めて目にする光に目を細めながら、まわりを見渡す。
海を見るのも初めてだった。
私はあそこしか知らなかったから。

太陽はあたりにも光を投げかけて、海をキラキラ光らせていた。
どこまでも続く海の真ん中で、卵は私を乗せて浮かんでいる。

落ちないように気をつけながら海を覗き込むと、
泳いでいる魚の群れが見えた。

透明できれいな海。

それでも海底までは見ることが出来ない。
この真下のずっと深いところに存在する暗黒の世界を想うと、
海に潜ってもう一度あの場所に戻ろうかという気分になった。

でも届かないだろう。
魚たちでさえ近づけないような場所なのだから。


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